新しい年、既に1/36程が過ぎてようとしております。
うかうかしてると、もう間もなく次の新しい年、はじまりますよっ!
新しい年になっても相変わらず街中で道を尋ねられる機会の多い昭和の女。
最近は、ほぼ100%に近い確立で北京語で尋ねられます。
いや、多分北京語なのだと思うのですよ。
まぁ、それは時の流れ、時代の流れ、香港の流れであるし、
聞かれる場所というのは大体限られているし、広東語で答えても
大方の場合、質問者も分かった感じに見えるし、そんなこんなで
会話は何となく成り立つので、いいのですが。
つい先日も、まもなくお昼というそんな頃オフィスの下を歩いていると前方に
A4サイズの紙持って若い香港ヤンに道を聞いてるご夫妻がいらっしゃいました。
若い香港ヤン、知らんぷりする事なく一生懸命、メモ用紙確認してたようだけど、
残念ながらその若者は全く分からないご様子。
その脇を通りがかった昭和の女、腕をがしっ!と掴まれ、
「ここ、ここ、ここに行きたいのだけど、ご存知なぁ~い?」
ってな感じの事を多分、北京語で尋ねられたのだと思います。
ああ、若者香港ヤン、銅鑼湾に詳しくないっていうか、
北京語苦手で会話が成り立たなかったのかしら、もしかして。
まぁ、私も北京語分からないしっ、仕方ないか、ごめんなさいねっ!
ってな事を頭の中で考えつつも、ちらりとそのA4用紙覗いてみると
その目的地。
「美心大酒樓:興利中心」
。。。
。。。
ああ、これねぇ~、
さっきの若者香港ヤンが北京語できるとかそうでないとか
銅鑼湾に詳しいとかそうでないとか、
そんな事がひっかかって会話が成り立っていなかったのではなく
彼は若すぎる故、答えられなかった。
その問いに答えら得る程、きっと彼は香港を知らない。
そんな気がしました。
ないんです。それ。
香港家賃高くてテナントの入れ替わり早いからねぇ~
とか、そういうことではなく、そのレストランがないどころか、
もう、そのビルがなくて
で、もって、もう次のビルがほら、こうして
この夏にはオープンしようと、そんな感じになっているのです。
優しそうなそのご夫妻に
「ああ、興利中心ねぇ、随分懐かしいわねぇ~。
ここがね、そうそう、この目の前の建設中のビル、
まさにこの場所が興利中心だったのよねぇ~
そういえば、あった、あったそのビルの中にメ・イ・サ・ム♬」
なんて、そんな香港の昔話しかお伝えできず、
しばしの間、彼らはワタクシの思い出に付き添ってくれたのでした。
ってか、香港昔話by昭和の女の話しなどどうでもよく、
そのA4メモ、どうやら旅行会社からの案内か、もしくは待ち合わせ相手
からの情報なのか、いずれにしても他の人からの案内だった
ように見えたのですが、情報、ちょっと古過ぎませんか。
10年越しの香港旅行計画なのか、10年越しの約束なのか
その辺はよくワタクシには分かりませんが、
どこか初めての場所に旅行にでかける時には
やっぱり最新のガイドブックや情報を入手すべきなのだと
改めて感じさせてくれた、そんな出来事@興利中心改めHysan Place前
銅鑼湾、どんどん進化しております。
昔、香港に住んでいたからって、
世の中のおとうさん!
「香港は、いいよなぁ~、大丸も三越も、松坂屋も
伊勢丹やヤオハンなんかもあるしさぁ~、まぁ、日本人は生活に困んないよっ!」
なんて、香港に転勤控えた後輩君に得意顔で言っちゃったりしないで下さいね。