香港、食、旅、仕事と時々日本

ごくごく普通の香港の生活。食、旅、仕事、語学と日本、時には経済的自由を考える。他人に厳しく自分に甘くが基本姿勢の毒舌日記、乱暴な言葉もでてきますゆえ自己判断にてご覧くださいませ。旧Hong Kong Days

それぞれの思い。

にほんブログ村 旅行ブログ 旅行グルメへにほんブログ村 株ブログ 投資信託へ にほんブログ村 海外生活ブログ 香港情報へ

明日4月1日、香港の銅鑼灣で行われるチャリテーコンサートには、それぞれ色々なご意見があると思います。素晴らしいと思う人、Tシャツ作る金があるなら全て募金しろ、テーマソングはいらんだろう、芸能人に会えるの?一体なんの騒ぎ?色々、色々だと思います。


いいんじゃないんでしょうか。色々な事を感じて。それでいいと思う。

それぞれ、色々感じて、考えて、その時自分が正しいって思った事をすればいい。

そう思う。


街角での募金も、店舗での募金箱も、売り上げから何%の募金も、自身が選び、賛同できるものに、自身がその時にできる範囲でやったらいいと思う。


みなそれぞれ気持ちは不安定だし、実際、被災していない人たちは「何もできない」と自分を責めている人もいると思う。被災地に入って炊き出し活動している人もいれば、黙って少なくない金額を募金する人、私はこれだけ募金しました!と声をあげて言う人。みんな、みんな、それぞれの思いがあると思うのです。


今日は「チャリティーなんて何だかちょっと偽善なニオイ?」と思っても次の日には「やっぱりチャリティーもいいかも」と思ってみたり、みんなみんな、その時その時自分自身でも何が正しいのか正しくないのか分からなくなってしまう。いろいろな人の意見を聞きたくなってしまう。自分の行いが合っているのか、間違えているのか確認したくなってしまう。きっと多くの人が感じているではないでしょうか。







震災後、少し時間がたってから思った事。

経済を止めてはいけない。お金の流れを止めてはいけない。初めはドカンとそして末永い支援と協力が必要であること。日本経済は私が回す!!!!くらいな溢れんばかりの気持ちはあるものの、肝心の回すお金がありません。自分自身が経済的に自立していなければ大切な、大切な人が助けを必要としている時に手を差し伸べる事ができないという現実。。。あまりにも悔しく、情けない。


今、被災して全てを失ってしまった人が、いつか元気を取り戻し「よし!また、働くぞ!!」と、そう思った時に我々被災していない人たちは、その時に「じゃ、我が社においでよ!!」「じゃ、このビジネス一緒にどぉお?」と1つでも多くの企業が一人でも多くの人を雇い入れる事ができるように、しっかり仕事をやっていかなきゃいけない。そう思った。


世界の天災時以外は、募金活動にほぼ非協力な私。自分の人生にボランティア活動なんてないだろうと思っていたし、チャリティーなども「ふ~ん」と、どこか第3者的、踏み込む事はこれまでなかった。オイオイ、おそろいTシャツ作る金と時間があるなら、それ全部、回せばいいのにと思った事もあった。多分先月まで、そう考えていたと思う。


そんな私は、明日のチャリティーにボランティアで参加する事にした。

基本非ボランティア的な性格なせいか、参加意思表示を示すまでに少し自分でも考えた。

えっ?私、とっても偽善者?とも思ったりもした。


でも、何故、参加することにしたかというと、自分にもできるかもしれない。

そう思ったから。それだけなのですね。

金曜の夜だし、銅鑼湾近くだし、予定入ってないし。

たいした金額の募金もできない。救助のプロでない自分が救助活動ができるはずもない。では、一般の人が行けるようになった今、自分が行けるか?会社潰れます。。。


何の取り柄もない、金もない自分ができる事。

日本語と広東語を使った何かならできるかも。

あ、チャリテーやるんだ、広東語日本語要員ボランティア募集してるんだ。。。

できるかも。そう、思っただけなのですね。

このやり方があってるのか間違ってるのか賛同する人が多いのか偽善と思う人が多いのか。そんな難しい事は自分でもわからない。ずっと何かしたいと思いながらも何もできないままで今はこんな事くらいしか、できないのです。わたしには。

この、ボランティアします。も黙ってやればいいじゃんと思う人もいるでしょう。

ブログに書かなくてもいいじゃん!と思う人もいるでしょう。

きっと、自分の気持ちに整理ができていないのかもしれないし、知人友人の中にいるかもしれない「チャリティーコンサートなんてちょっと。。。」と思っている人への言い訳かも。ってか、まさにそれですね。



単なるショーだと思う人、偽善者の集まりだと感じる人、売名行為と思う人、色々でいいと思う。ある日の私はきっとそう思っていたと思う。

でも、お金が集まるのであれば、それもいいと思う。

そのお金、ホントに届くの?と不安な人は参加しなければいいし、募金したいと思う人はそれもいいと思う。自分が考えて、その時に自分がとった行動が、その時の自分にとって、きっとそれが正解な行動なのだと思います。



Tシャツをつくった工場が今日も潰れずスタッフを雇って行く事ができ、コンサート請負企業が今日も人を解雇しないでやっていく。そういう事も大切なことなのだと最近考えるようになりました。

Tシャツを作った会社、それはもしかしたら、日本とは全く関係ない企業かもしれない。でも、それでもそこにビジネスが生まれ人を雇用していく事ができる企業が存在し続けることの大切さというのもあるかもしれない。震災後、そんな風に考え始めました。


きっと、私たちはそれぞれ、これからも色々、色々、考えていくのだと思います。