山頂、ビクトリアピーク。
香港に来た人であれば一度は訪れる場所だろう。
世はコロナ禍。
普段は溢れんばかりの人で全く落ち着かない山頂(ピクトリアピーク)も
今は香港住まいの人々のみが訪れ、
思い思いにゆったりとした時を過ごしている。
香港はそれほど興味ないという人でも知っているであろう
その山頂(ビクトリアピーク)からハイキングコースを2.3Kmほど。
この地図では5番、6番辺り。
香港で一番小さなカントリーパーク「龍虎山郊野公園」
Lung Fu Shan Country Parkの一角に松林炮台は残っている。
普段の生活の中ではあまり見かけない香港の姿。
香港政府サイト:Pinewood Battery解説のページはこちら
右手にLugard falls(盧吉飛瀑)ルガードの滝を見ながらひたすら進む。
途中、分かれ道になると案内があるので迷うことなく進める。
龍虎山カントリーパーク。
その一角に松林炮台(Pinewood Battery)は当時の姿のまま残っている。
War Shelters (as anti-aircraft gun battery)
gun platformへと続く道
現在、入り口は小さな公園となっている。
帰りはMorning Trail沿いを下っていったのですが
途中、階段があったので、香港大学方面から登ってこられた方は
ここからPinewood Batteryへ行くと近道なのかもしれません。
いつもの香港が見えてきた。
RTHK(2019年1月26日):香港風物詩:戦後炮影
(Pinewood Batteryについては6:30くらいからが詳しい。広東語だけど
影像を見るだけでもとても参考になると思うので是非見て欲しい)
かつて読んだ資料によると
第二次世界大戦前までは中国大陸と香港の間の行き来は自由で
香港人という民族的意識というのはそれほど存在しなかったらしい。
そうしたことをを考えると、
香港が現在「香港」であるというのは
日本という存在が大きく関係するのではと思う部分もあるし
香港に全く興味のなかった自分が、どういうわけか縁あり
母国日本での生活よりも長い時間香港で生きることとなったのも
とても不思議な気がする。
歴史に「もしも」はないけれど
1945年のあの時に、イギリスではなく中国に返還されていたら……
1898年に交わされた約束通り99年後の1997年、
新界のみが中国に返還されていたら……
1937年のあの日、日中戦争が勃発しなかったら……
ビクトリア・ピークからゆっくり歩いて30分くらい。
松林炮台(Pinewood Battery)で
日本の統治下にあった3年8ヶ月、
かつての香港に触れてみるのも悪くない過ごし方だと思います。
今回、日本統治下の香港を改めて復習してみようと
いくつかサイトや資料を拝見しましたが、
とてもわかり易く、とても詳しく記されていると思ったサイトが
意外や意外、
すべてのドクターを応援するコンテンツサイトDoctor's Gateというサイトで
内藤証券投資調査部の千原氏が投稿されているページで
2020年2月5日:
内藤証券投資調査部のキーマンが見た「中国株の底流」 日本統治下の香港
意外や意外とか言っちゃて、どれだけ自分、失礼なんだって思うけど
千原靖弘先生、イヤ、ホント、すみません。
どんな歴史先生より詳しい内容。
イヤ、世の中の中国史、香港史の先生方はこの千原先生の
コラム「中国株の底流」読まなきゃいかんでしょ。
コラムというより歴史書ですよ、歴史書。
でもワタクシの素人考えでありますが、
お医者様向けのお話ではあまりないような気がしないでもないのは内緒。
お医者様はお金はお持ちだとは思いますが、
広東省がどこにあるかぶっちゃけ詳しくわかんないけど
お金が増えるのであれば別にどこでも気にしない!って感じの方が多い気がします。
香港政府観光局:龍虎山、Pinewood Batteryの案内はこちら
最後、若干話しがお金の話にズレてしまいましたが
香港でのコロナ禍、もう暫く続きそう。
なるべく人混みを避けつつも新鮮な空気と知識を求め
龍虎山カントリーパーク、松林炮台へのお出かけ、
よろしければ皆さまも是非に!