そうそう、日本の日常生活はつくづく独特な環境を保っていると思う。
それがいいのか、悪いのかというのはワタクシにはわかりませんが、
そんな独特な環境、自分は好きだ。
生活のほぼすべてを日本語でこなすことができ、
高等教育も日本語で受ける事ができる。
一方、香港。高等教育や専門的な事になればなるほど、
広東語での本や資料や教科書は限られるわけで、英語に頼らざるを得ない。
母国語で知識を増やすことができる環境って、それはそれは、素晴らしい。
でも、そのことに、日本で暮らしていた頃の自分は気づくことが出来なかった。
また、再び日本で暮らすことが叶うなら、
いろいろな事を、貪欲に、ガツガツ学んでみたいわね。
2009年夏から秋、臀部マッサージの旅の時に日本で過ごした2週間。
言葉の事を考える事が多かったのかな。
日本で日本語以外の言葉を学び使い続ける人々の凄さ!
2009年9月14日(月) 香港、台風シグナル3発令中!
2週間日本で過ごして考えたこと その1
日本で日本語以外の言葉を学び使い続ける人の凄さ。
香港に戻り一週間。はやっ!
日本でのいろんな意味で夢のような2週間を過ごした中で考えたこと。
「日本で日本語以外の言葉を使い続けられる人ってすごぉーい!」
本当に尊敬します。
だって日本に暮らしていると本当に日本語だけで過ごせる。
テレビだって看板だって、新聞だって、本だって、全て日本語だ。
英語なんて自分から突撃しなければなかなか接する機会がない。
そういう国ってどれくらい有るんだろう、世の中に。わからん。
最近はアメ横あたりに行くと売り場のお兄さんたちが
広東語で呼びかけてくることもありますが。 とにかく、そういう環境の中で
日本語以外の言葉を使い続けられる人の努力って凄いと思う。
彼ら彼女らはどのようにしてモチベーションを保っているのでしょうか。
「ことば」ってやはり本人の努力無しには得れないものだし、使わないと、
どんどんどんどん忘れていく。忘れる上に、英語だって広東語だって、
もちろん他の言語だってそうだと思うけど、新しい単語や言い回しが どんどん、
どんどんでてくるし。 家族が異国の人であろうと、外国に住んでいようと、
昨日まで遠い存在だった言葉が朝起きたらしゃべれるようになっていた
なんてことはないし、聞き流すだけである日突然口から飛び出すなんてことも、
あまりないと思う。 昨日まで話せていたことが口から出なくなることは
多々有るのに。
それにしても、つくづく、どれだけ自分はナマケモノなのだろう、と反省した。
テレビをつけても、買い物に行っても、街中歩いても
広東語、英語、北京語。
そんな贅沢な環境にいながら、 コレといった進歩もない自分、トホホ。です。